『みる』には、見る、観る、診る、視る・・がありますが、今回はその国語的観点は置いといて。🎁
アーサナプラクティス、瞑想、呼吸法。
どれも重要になってくるのは、内観です。
内観?
つまり、自分がどーなってるのか見ること。
今、ナウ、どーなってるのか見ること。
客観的に、って言葉が適切なのか・・
私はアシュタンガヨガのプラクティショナーなので、それを主にアーサナプラクティスで培ったのかと思います。
瞑想も必ずではありませんが、少しの時間座る時もあります。スピリチュアルな本なども読んだり、探求すことからの影響もおおいにあります📚
プラクティス中、呼吸や身体に意識を向けようとしますと、どれだけ思考を巡らせいるかが見えて来ることがあります。
ココイチバン、苦手だったり、難しいアーサナの肝心なところで余計な事を考えていたりしていることに。
もう少し練習年数が若い頃には、それにさえ気づけてなかったと思います。
このアーサナをがむしゃらに『呼吸も忘れて』挑んでいる時、
今必要な、長めのもうひと呼吸、足の先を揃えること、鼻を見続けること、肩の余計な力を抜くこと・・そんなちょっとした身体の動き1つ1つ。
今自分がどーなって、何をしているかに気づけているか、意識が向けられているか。
ちゃんと見えてるか👓見ているか👀
もう1つ深いところでは、
身体の細部に意識を向けるその目を曇らせている、邪魔をする内に潜むモノは。
焦り?不足感?恐れ?怒り?悲しみ?
どんな感情、心模様が自分の内を過るのか。
そんなことに気づき、受け入れて、淡々と練習を繰り返し、潜んでいたものを少しずつ手放していく。最後のひと越えは勇気を出して、頑張って越えてみる。
内観→気づき→受入れ→意思行動(待つことも含む)→手放し
『見る』続けることは私はこんな流れに思えます✨
practice practice oneday coming.
✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳
自分を居心地の悪い状態に持って行ってしまう、感情の持ち方や思考の癖。
目の前で起きたことに対しての反応。
感情は起きること。
その感情に引っ張られることで、
自分をその感情と1つにしてしまうことで、
大抵は過去に経験した『苦しみ』など、お決まりのパターンへ入り込む様です。
大小ありますが、仕組みは同じ気がします。
最近思うことは、起きた感情を『見る』こと。
直ぐ様『起きた感情 = 私』にしないこと。
"あっ、今嫌な気分になったな。前にもこんな気分になった。でもそうなりたくないな。もうそこには行きたくない。"
起きた感情に気づき、それを見ることが出来ると、1つにならないことが出来ると、
次にどうしたら良いかが割りと客観的に見えて来たりする気がします。
以前にも載せましたが、
"問題は問題にすると、さらに問題となる"
問題と一心同体にならない様に。
そんなところでしょうか✨
『いや、頭で分かってるんだけどねーー💦ついつい忘れちゃうし、出来ないから困ってる💦』
1回や2回試した位では、そうなる傾向は強いと思います✋
そして矛盾してるかもしれませんが、そんな自分を責めないこと✨
やはり、簡単なことではないと思いますので🍀
あっ、またやっちゃった💦てへ😝
みたいな✨
まだまだウッカリ悩ましい自分になることも、可能性も十分にある、私自身でもあります😝
自分を観察出来様になると面白いかもしれませんね🎵 何より、楽チンになることが出来るでしょう🎵
珍しく真面目?
ww
ナマステ
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