ー Habit ー
- 2019/07/31
- 18:30
ウサギちゃんではない✋
勿論、ウサギちゃんは可愛い❤
habitー習慣、癖、習性・・といった意味。
アシュタンガのプラクティス自体、
"habitにするのだけど、単にhabitにするのではない" 。
しかしまずは"habit"にしなければお話にならない。
何でもそうだけど、
やったりやらなかったりでは身には付かない模様✋
それはマットに上がる事もそうだけど、プラクティスの中身、アーサナ1つ1つに関してもそう。
そこがアーサナプラクティスのヨガとしての意味を成してくるところ✨かなっ🍀と思う。
1つのアーサナがある程度出来るまでのレベルが、1~10の段階であったとする。
1段階では、ほぼ力みからこのアーサナがなんだか良く分からない。後ろで手を組むとか逆さまになるとか大まかなことだけが頼り。
2段階では良くわからないながらも、これはとりあえずやるしかないのだな・・となる。
3段階ではやっている内に段々と気持ちも入って来る。力みは抜けない。
4段階では少し光が見えて来て、これは出来る様になりたいと思いながら頑張り始める。気合いから力みは抜けない。
5段階では試行錯誤が続き
6段階あたりから『あれ!?』まぐれっぽく出来る✨
7~8段階では、出来たり出来なかったりだけどその違いがまだいまいち分からない。
9段階ではどうすると出来るのかが分かって来る。でも出来たはず・・とブレたりして少し安定しない。
10段階、安定✨
↑これは例えばの話✋
(必ずしもアーサナが出来なければいけないと言うことではない。身体の特徴、病歴などもあればアーサナの完全な形が全てではないので)
1~5までは、どちらかと言うと『まだ出来ない』の感覚が強く、
それでも続けていくうちに、6あたりから『少し出来る』に変わってくる。
7~9はもう時間の問題。身体の準備は出来てても、心が緊張やその他のことに引っ掛かりブレるパターン。
6あたりから『出来ない』から『出来る』にグラデーションが徐々に濃くなっていく感じになるかと思う。
どの段階にいても続けていくことが最大の『コツ』。
見えなかったことが段々と見えてくる。
それは文字通り『見える』のではなくて、寧ろ『見えないところ』を探って。
途中、気づく。
あぁ~、ここをしっかりさせないと出来ないのか・・。
あぁ~、ここの柔軟性を出さないと出来ないのか・・。
大抵それは苦手なこと。
自分で書いていて耳?が痛いけどww
そして大抵『気持ち』と言う邪魔が入るww
そこには理由付けが盛りだくさん✨
身体の癖も出るが、心の癖も出てくる。
ここは繋がっていると言ってよいかもしれない✋
自分には見えない『癖』。無意識に出る緊張や力み。
私の例では、ほぼほぼそのアーサナは出来ているのに、うっかりすると出来なかった頃の身体の癖が出たり、出来なかった頃の気持ちに舞い戻ったりし、ブレる。
『あっ!』と我に帰り
気持ちを引き戻す。
1と10だったら、1は苦しく、10は呼吸も出来て安定して楽に近づいている。
1より10の方が快適に決まってるが、
何故か人は9まで行ってるのに、ちょっとしたことでまた1の方向に行こうとしてしまう✋
面白いなぁと思う。
楽より苦の方を選ぼうとしてしまう✋
しかし、10になってしまえば、もはや何で出来なかったのかもちょっと分からなくなる時がある。
アーサナプラクティスはポーズより、この『意識の変化』に気づいたり、調整出来たりする様になることが寧ろプラクティスなんだろうと✨
その要は呼吸=プラーナ(気)のコントロールなのかな✨
簡単そ~に言うな😝
ところが、この今までの癖や、習慣である"habit"はなかなか抜けてくれない✋
これは私が実証済みで進行中ww
だから、1~9段階のプラクティスを諦めずに"habit"にすることで、
10段階目が"habit"になっていくのでしょう🎵
"アーサナは安定して快適なものである様に(でなければならない)。その不動性は、もはや二元(物質界)に振り回されることはなくなるのである"
これが八支則のアーサナ✨
磨くのは身体を使って知る、意識の持って行き方✨
このことを知っていた方が役に立つが、
理屈だけではどうにもならないww
ナマステ
勿論、ウサギちゃんは可愛い❤
habitー習慣、癖、習性・・といった意味。
アシュタンガのプラクティス自体、
"habitにするのだけど、単にhabitにするのではない" 。
しかしまずは"habit"にしなければお話にならない。
何でもそうだけど、
やったりやらなかったりでは身には付かない模様✋
それはマットに上がる事もそうだけど、プラクティスの中身、アーサナ1つ1つに関してもそう。
そこがアーサナプラクティスのヨガとしての意味を成してくるところ✨かなっ🍀と思う。
1つのアーサナがある程度出来るまでのレベルが、1~10の段階であったとする。
1段階では、ほぼ力みからこのアーサナがなんだか良く分からない。後ろで手を組むとか逆さまになるとか大まかなことだけが頼り。
2段階では良くわからないながらも、これはとりあえずやるしかないのだな・・となる。
3段階ではやっている内に段々と気持ちも入って来る。力みは抜けない。
4段階では少し光が見えて来て、これは出来る様になりたいと思いながら頑張り始める。気合いから力みは抜けない。
5段階では試行錯誤が続き
6段階あたりから『あれ!?』まぐれっぽく出来る✨
7~8段階では、出来たり出来なかったりだけどその違いがまだいまいち分からない。
9段階ではどうすると出来るのかが分かって来る。でも出来たはず・・とブレたりして少し安定しない。
10段階、安定✨
↑これは例えばの話✋
(必ずしもアーサナが出来なければいけないと言うことではない。身体の特徴、病歴などもあればアーサナの完全な形が全てではないので)
1~5までは、どちらかと言うと『まだ出来ない』の感覚が強く、
それでも続けていくうちに、6あたりから『少し出来る』に変わってくる。
7~9はもう時間の問題。身体の準備は出来てても、心が緊張やその他のことに引っ掛かりブレるパターン。
6あたりから『出来ない』から『出来る』にグラデーションが徐々に濃くなっていく感じになるかと思う。
どの段階にいても続けていくことが最大の『コツ』。
見えなかったことが段々と見えてくる。
それは文字通り『見える』のではなくて、寧ろ『見えないところ』を探って。
途中、気づく。
あぁ~、ここをしっかりさせないと出来ないのか・・。
あぁ~、ここの柔軟性を出さないと出来ないのか・・。
大抵それは苦手なこと。
自分で書いていて耳?が痛いけどww
そして大抵『気持ち』と言う邪魔が入るww
そこには理由付けが盛りだくさん✨
身体の癖も出るが、心の癖も出てくる。
ここは繋がっていると言ってよいかもしれない✋
自分には見えない『癖』。無意識に出る緊張や力み。
私の例では、ほぼほぼそのアーサナは出来ているのに、うっかりすると出来なかった頃の身体の癖が出たり、出来なかった頃の気持ちに舞い戻ったりし、ブレる。
『あっ!』と我に帰り
気持ちを引き戻す。
1と10だったら、1は苦しく、10は呼吸も出来て安定して楽に近づいている。
1より10の方が快適に決まってるが、
何故か人は9まで行ってるのに、ちょっとしたことでまた1の方向に行こうとしてしまう✋
面白いなぁと思う。
楽より苦の方を選ぼうとしてしまう✋
しかし、10になってしまえば、もはや何で出来なかったのかもちょっと分からなくなる時がある。
アーサナプラクティスはポーズより、この『意識の変化』に気づいたり、調整出来たりする様になることが寧ろプラクティスなんだろうと✨
その要は呼吸=プラーナ(気)のコントロールなのかな✨
簡単そ~に言うな😝
ところが、この今までの癖や、習慣である"habit"はなかなか抜けてくれない✋
これは私が実証済みで進行中ww
だから、1~9段階のプラクティスを諦めずに"habit"にすることで、
10段階目が"habit"になっていくのでしょう🎵
"アーサナは安定して快適なものである様に(でなければならない)。その不動性は、もはや二元(物質界)に振り回されることはなくなるのである"
これが八支則のアーサナ✨
磨くのは身体を使って知る、意識の持って行き方✨
このことを知っていた方が役に立つが、
理屈だけではどうにもならないww
ナマステ
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