ー 自分のこと♥️ ー
- 2021/09/22
- 04:25
2021も明日は秋分です🍁
今年もあっという間なのはどうやら私だけではなさそうですね😌
個人的には秋風が吹き始めると、日本を出て旅に行きたい気分になります✈️
近年の過去2回、私の中での大きな旅がどちらも夏に計画して、秋に旅立ったから🌎️
そして、こういう世の中になるとも思っていなかったので、行けない(今は)となると尚更ですw
こんなことなら、行きたいところあればサッさと行くべきだったな…なーーんて😆
インドなどは、私が旅にこなれてる訳でもないのであちらの国内の状況が"安心"となるまで数年は無理だろうと思ったりします。
🍎 🍌 🍎 🍌
アシュタンガヨーガ、8支則の内の"ニヤマ"。
その5つの内に"スワディヤーヤ"があります。
これは「自己の探求」と言われる学びです。
自分自身を理解しようとする事。自分の内側の気づきを元に学び実践すること。その為に、先人達の為になる書物などを読んだり学んだりすることでもあります。
そこで知ったり得たりした"叡智"が自身の"知恵"にもなる訳です。
"学び"と言っても学習的な暗記とか量とか数とかましてや順位などは問題ではありません。その方向はハッキリ言ってヨガとは"真逆"です。
ここからは随分と私個人の経験から言葉になるものだとしておいて下さい😌
アシュタンガヨガのアーサナプラクティス自体もまさにスワディヤーヤになる訳です。
自分の身体ってどんななのか?を嫌でも見るんですよね。
"私は柔らかいけどコアが弱いタイプなんだ"
"左の股関節は開くけど右はそれほどでもない"
"もも裏も背中もやっぱり硬いんだな"
何もしてなかった頃より、ヨガで身体を動かす分だけ自分の身体の特長に気づきはじめます。
ポーズが難しくなるほど、色々なポーズをする程分かりやすでしょう✋
もうひとつ、身体だけではなく自分の内面を見る時もあるでしょう。でもこれは外側の身体より分かりずらいかもしれません。
"案外せっかちだった"
"案外短気だった"
"案外ぐうたらだった"
"集中力が続かないタイプだった"
ネガティブなことばかり列ねましたがw
身体も内面も同時に良いところ(ポジティブ)なところも勿論、絶対にあるのです♪
ですが、これは多くの大人達がそうである様に(私もでした)
ポジティブにより先に、ネガティブに目が行きます✋
"ここがダメなところ"
ですが、両方に目が向けられる様に😌
ポジティブなところを生かしてネガティブを自分なりに向き合って、自分にとっての"ダメな点"でなくて、少しずつ理解して確かなものにしていく。
"見る"と言いましたが、別の言い方をすると
"意識に上がって来たものを捉える"です。
気づかなかったことが"あれ?"となる。
でも、そこでそれを受け入れるか見て見ぬふりをするのかはその人次第というところもあります。
そこは自由だと思います。
ただ"自分への理解"を遠ざけ見て見ぬふりをするのは、ヨガ(マットの上だけでないものも含む)をする事からは離れてしまうでしょう。
気がついたら
物理的にマットに上がることも、精神的なプラクティスも段々と過去の事になるきっかけになるかもしれません。
きっと。
私はこの経験はないので…
見てきた限りでは、
きっと✋
🍎 🍌 🍎 🍌
私も段々とその様にして、自分のことを学んで行くのですが、その間には
身体的にこっぴどい怪我をしたり
自身のいらぬプライドに振り回され、他人様と比べたり、評価してみたり、劣等感に苛まれたり😆
かと思えばやった気になって、気がついたらぐうたらしてたなんて事も🍚🍷
↑これがダメなのじゃなく、大好きでやることに対しては多くの人が持っていること。まずはこれに気づくことが一歩かなと思います🍀
時間を沢山掛けたってよいではないか😊
"自分への理解"は
"まわりへの理解"にも繋がる様です。
🍎 🍌 🍎 🍌
先日、師匠も仰っており
ヨガ仲間達も感銘していた言葉。
自分にも、ひとにも優しく💕
自分、自分となり過ぎず🔰
強く、そして柔軟に✨
優しく繋がろう♪
だってヨガだもん🐒🍌(これは私ですw)
少しずつでもこちらにエネルギーが向けられる様に😌
日々のプラクティスを活かしていけたら
幸いですよね♥️
今回はそんなお話でした🧘♀️
長々とお付き合いありがとうございます🙏
日々全てが豊かであれます様に😌
ナマステ🌈
秋の読書にオススメです🍁
今年もあっという間なのはどうやら私だけではなさそうですね😌
個人的には秋風が吹き始めると、日本を出て旅に行きたい気分になります✈️
近年の過去2回、私の中での大きな旅がどちらも夏に計画して、秋に旅立ったから🌎️
そして、こういう世の中になるとも思っていなかったので、行けない(今は)となると尚更ですw
こんなことなら、行きたいところあればサッさと行くべきだったな…なーーんて😆
インドなどは、私が旅にこなれてる訳でもないのであちらの国内の状況が"安心"となるまで数年は無理だろうと思ったりします。
🍎 🍌 🍎 🍌
アシュタンガヨーガ、8支則の内の"ニヤマ"。
その5つの内に"スワディヤーヤ"があります。
これは「自己の探求」と言われる学びです。
自分自身を理解しようとする事。自分の内側の気づきを元に学び実践すること。その為に、先人達の為になる書物などを読んだり学んだりすることでもあります。
そこで知ったり得たりした"叡智"が自身の"知恵"にもなる訳です。
"学び"と言っても学習的な暗記とか量とか数とかましてや順位などは問題ではありません。その方向はハッキリ言ってヨガとは"真逆"です。
ここからは随分と私個人の経験から言葉になるものだとしておいて下さい😌
アシュタンガヨガのアーサナプラクティス自体もまさにスワディヤーヤになる訳です。
自分の身体ってどんななのか?を嫌でも見るんですよね。
"私は柔らかいけどコアが弱いタイプなんだ"
"左の股関節は開くけど右はそれほどでもない"
"もも裏も背中もやっぱり硬いんだな"
何もしてなかった頃より、ヨガで身体を動かす分だけ自分の身体の特長に気づきはじめます。
ポーズが難しくなるほど、色々なポーズをする程分かりやすでしょう✋
もうひとつ、身体だけではなく自分の内面を見る時もあるでしょう。でもこれは外側の身体より分かりずらいかもしれません。
"案外せっかちだった"
"案外短気だった"
"案外ぐうたらだった"
"集中力が続かないタイプだった"
ネガティブなことばかり列ねましたがw
身体も内面も同時に良いところ(ポジティブ)なところも勿論、絶対にあるのです♪
ですが、これは多くの大人達がそうである様に(私もでした)
ポジティブにより先に、ネガティブに目が行きます✋
"ここがダメなところ"
ですが、両方に目が向けられる様に😌
ポジティブなところを生かしてネガティブを自分なりに向き合って、自分にとっての"ダメな点"でなくて、少しずつ理解して確かなものにしていく。
"見る"と言いましたが、別の言い方をすると
"意識に上がって来たものを捉える"です。
気づかなかったことが"あれ?"となる。
でも、そこでそれを受け入れるか見て見ぬふりをするのかはその人次第というところもあります。
そこは自由だと思います。
ただ"自分への理解"を遠ざけ見て見ぬふりをするのは、ヨガ(マットの上だけでないものも含む)をする事からは離れてしまうでしょう。
気がついたら
物理的にマットに上がることも、精神的なプラクティスも段々と過去の事になるきっかけになるかもしれません。
きっと。
私はこの経験はないので…
見てきた限りでは、
きっと✋
🍎 🍌 🍎 🍌
私も段々とその様にして、自分のことを学んで行くのですが、その間には
身体的にこっぴどい怪我をしたり
自身のいらぬプライドに振り回され、他人様と比べたり、評価してみたり、劣等感に苛まれたり😆
かと思えばやった気になって、気がついたらぐうたらしてたなんて事も🍚🍷
↑これがダメなのじゃなく、大好きでやることに対しては多くの人が持っていること。まずはこれに気づくことが一歩かなと思います🍀
時間を沢山掛けたってよいではないか😊
"自分への理解"は
"まわりへの理解"にも繋がる様です。
🍎 🍌 🍎 🍌
先日、師匠も仰っており
ヨガ仲間達も感銘していた言葉。
自分にも、ひとにも優しく💕
自分、自分となり過ぎず🔰
強く、そして柔軟に✨
優しく繋がろう♪
だってヨガだもん🐒🍌(これは私ですw)
少しずつでもこちらにエネルギーが向けられる様に😌
日々のプラクティスを活かしていけたら
幸いですよね♥️
今回はそんなお話でした🧘♀️
長々とお付き合いありがとうございます🙏
日々全てが豊かであれます様に😌
ナマステ🌈
秋の読書にオススメです🍁
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